行徳神輿 行徳神輿 ~三年に一度の「行徳五ヶ町例大祭」~ 解説入りギャラリーを見るには、下のサムネイルをクリック 行徳の本神輿の重さは約480kg。担ぎ手の数は慣例で決まっていて前、後ろの竿でそれぞれ8名づつ、胴の左右で4名づつの、都合24名でしか担ぐことができない。担ぎ手は、決まりの白装束をまとう。そして両腕にさらしの手甲をきつく巻き付ける。超重量級の神輿の重さに耐えるためだ。端の担ぎ手4名は、竿の端を包むように持つ。神輿を「揉む」とき、担ぎ手は神輿の胴の真ん中で前後に別れ、それぞれ向かい合うように担ぐ。そして、音頭取りの「さし」の合図とともに、担ぎ手たちは神輿を頭上高く差し上げる。本神輿は、本当に大きい。重い。そして美しい。これを24名だけで担ぐ。3年に一度、大祭の神輿渡御は午前6時から始まり、午後8時近くまで続く。「さし」の後、音頭取りの「まわれ!」の掛け声で、担ぎ手たちは神輿を時計方向にまわす。 そして「ためろ!」で停め、つぎの揉み動作に移る。掛け声は「ワッショイ!」。担ぎ手は白装束をまとい、酒気を帯びた者は神輿に触れてはならない。「揉み」には、天に差す「さし」の状態のほか、地面ギリギリ近くまで神輿を下げて回す「地摺り」がある。 そして、神輿を天に投げて腕に受ける、名物の「放り受け」がある。行徳の本神輿は、肩で担ぐのではない。「腕いっぽん」で「差す」のだ。ひとりが交代で抜けると、 他の23名は「ずしり」と尋常ではない荷重を感じる。24名はぎりぎりの人数なのだ。揉みのハイライトが「放り受け」。「ヨイヨイヨーイ!」の掛け声と共に、24名の担ぎ手が本神輿を放り上げ、宙に浮いている間に手を叩く。そして落ちてくる480kgの本神輿を手甲を巻いた両腕の手首で受け止める。24名の息が合っていないと大変なことになる。慣れない担ぎ手は、事前に自治会の講習会を受ける。朝の6時に「御霊入れ」、縁起の「下新宿稲荷」渡御にはじまり、「本行徳一丁目」の豊受神社を出た神輿は、「二丁目」「三丁目」「四丁目」の神社を渡り、夕刻に「本塩」の本塩豊受神社に入ってくる。「五ヶ町例大祭」の由縁である。神輿は各町会の「受け渡し」を経て次の町に進む。最後の本塩豊受神社の前では、宮入り=祭りの終わり、を阻止しようと、担ぎ手たちは受け渡しを拒み、神輿が何時間も行きつ戻りつする。その間も「揉み」が続く。本塩豊受神社は、普段は本当に静かで目立たない神社。しかし、この日ばかりは大勢の人、担ぎ手たち、そして巨大で壮麗な本神輿に彩られ、熱狂の場となる。「地摺り」は担ぎ手にとって、実はかなりつらい揉み方。神輿をギリギリまで下げるため、神輿を背に中腰になり、両腕を後ろ手に、アキレス腱の位置で竿を支えたまま神輿を回転させる。いよいよ、宮入りがクライマックスへと向かう。神輿が本塩豊受神社の鳥居をくぐる。境内に押し入れようとする担ぎ手たちと、それを押しとどめようとする担ぎ手たちの攻防が、もうすぐ終わりを迎える。ついに神輿が本塩豊受神社の鳥居を越え、人々の大歓声の中、宮入りする。祭りは最高潮を迎える。神輿は、境内に入ってもなお揉まれる。白装束以外の者がこの中に入っていくことは中々できない。「地摺り」「さし」「放り受け」が続き、手打ちのあと、3年に一度の大祭が終わる。 ◎関連リンク 中台製作所:http://www.mikoshiya.com/ 市川市 行徳 ふれあい伝承館 市川市観光協会 行徳新聞 on Twitter